この釣りの難しいところは多い。
しかし錯覚している部分がつくづく多いといつも思う。

『黒鯛のアタリは、微妙で難しい。』
という定説は、僕にとっては
「上級者の作った“ウソ”だ」と思っている。
ヘチ釣りでの《黒鯛のアタリは難しくあって欲しい》とヘチ釣りをしている人はそう思っているのだ。そう願っているのだ。それが現状だと思う。
おかしなコトを言っていると思われるかもしれないが、正直に言うと『黒鯛のアタリは、難しくありません。』
何故ならば、初心者や上級者以外の人々には、その《各々のレベルでしかアタリは、分からない》からだ。
『難しい』 『微妙』とか言ってワザと難しくしているとしか思えない。
実際は、分かりやすいアタリなのだ。
『難しい』 『微妙』とか言って脅している。
自転車に乗れない人に、難しいと脅しているようなモノだ。自転車に乗れるようになると「何故こんなに簡単なの」と思ってしまうぐらい。
スロットルマシーンで目押しが出来るようになるのも最初から難しいと思うと出来ないけれど、積極的に何回もチャレンジしていると「以外と簡単だ」とわかる。
ようは【如何に沢山経験して積極的にチャレンジするか】が肝心だ。
ヘチ釣りの初級者が、洗脳されている『黒鯛のアタリは、微妙で難しい。』に囚われて、難しい難しいと思いこんでいても、ひょんな事から簡単に釣れてしまうことが大半だ。
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実は、初級者には、初級者しか解らないアタリなのだ。
それ以上のことは解らないのに難しい難しいと自分に言い聞かせても言い訳ぐらいにしか実際は使えないのだ。
足し算や引き算しかできない人にかけ算や円周率、ルートなどのことを言って算数を難しくして不安がらせているのと同じだ。足し算や引き算が出来る人には、出来る人なりのアタリしか解らないし、それ以上のことを解れと言うのが無理なのだ。
だから僕は、現在の足し算や引き算のことしか考えない。解らない割り算や掛け算のコトを、因数分解のことなんて考えてもどうにも成らないからだ。目の前にあるコトをひたすらやるだけだ。
この『難しいという錯覚』が、余計にこの釣りを難しくしている。
難しいという都合のいい理由が、手っ取り早い上達する方法を逆に難しくしているのだ。
Aさんに聞くと、「ガン玉はコレコレで、ハリはコレ。ラインは○○で、落とし方は、こうだ。」と言う。
Bさんに聞くと、「ガン玉はコレコレで、ハリはコレ。ラインは○○で、落とし方は、こうだ。」と違うことを言う。
Cさんに聞くと、「ガン玉はコレコレで、ハリはコレ。ラインは○○で、落とし方は、こうだ。」とまた違うことを言う。
同じくDさんも。Eさんも。みんな違う。
ようは、みんなやり方が違うし、近くの仲間も少しずつ違う。
それなのにAさんのコトを聞いたり、Bさんのコトを聞いたりして定まらない。
結局のところ、醜い『耳年増(ミミドシマ)』になり、ちっとも上達できないで経験だけ他の人よりも多いという『ヘチ年増』になってしまうのだ。
釣り場に着き、いざ始めるとAさんのやり方やBさんのやり方が、アタマを横切り。アタリもなく釣れないでいると、CやDのいうこと挙げ句の果てには、E、F、G、Hと堂々巡りを始める。もうコレは滑稽でしかない。
よく仕事でも使う言葉だが、
「スペシャリストは、グローバルなことを考えられるようになるが、最初からグローバルなことを考えようとするヤツは、スペシャリストには成れないのだ。」と。一つも身に付かない。
自分の心をピュアにして、この人だと決めた人に師事すれば以外と簡単に上達するのだ。
例えば、A名人に師事していながら、山○名人のマネをして、「そういえば雑誌で田○名人は、米○名人は、こうだったな」なんていうのは、かなり哀しい。
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Aさんのやり方が、見えてきて実戦できるようになると、Bさんの言うこともCさんの言うことも大分わかってくるに違いない。
『難しいという錯覚』が、いろんな意見のいいなりや奴隷になり、底の浅い上澄みだけの知識野郎になってしまうのだ。 釣果主義に走ったり、技術論者になったりするのだ。

僕が大好きだった磯子の老名人は、いつも楽しそうだった。「釣れたら嬉しいし、釣れないと寂しい。」という釣り人としての当たり前のスタンスを持っていた。技術のことについて何も言わなかったし、釣果を誇ることもしなかった。
いつも言うことは、『今日も魚に遊んでもらいましょう。』と言って、淡々と釣り上げていらっしゃった。
僕は、コレが一番だと思っている。
『難しいという錯覚』に囚われて彷徨うよりは、当たり前のスタンスでいることが一番だ。
Aさんが好きならば、ずっとAさんにくっついてお勉強をさせてもらうことが一番だ。
別に師弟関係を結ぶ必要もないし(僕はこういうのが嫌い)、上下でもない。《いつも一緒に魚に遊んでもらう仲間》なのだから一緒に遊んでお勉強できれば一番良いに違いない。
横で釣り上げるのが一番のお礼なのだから。