僕の懐かしい、思い出

僕の田舎のウナギ取り

こんな珍しい、ウナギの取り方もあったんですよ!

ウナギ釣りと人は言いますが、僕にとっては『ウナギ取り』なんです。ハリを使うから『釣り』かもしれません。

僕が育った田舎にある川には、かなりのウナギがいました。決して大きな川ではないし、海までもかなりの距離があるのにウナギは、沢山いたんです。それほど自然が豊かだったのでしょう。面白いように捕れましたから。unagi_shikake.jpg 『釣りキチ三平』が流行った時期に釣りの本を見たら、ウナギ釣りって普通の竿にエサを付けて釣る方法でした。
僕はビックリしてしまい、僕等のやってる釣り方って本当じゃないのか!と判った次第です。
それと僕が今住んでいる近くに流れる多摩川でのウナギ漁は、円い筒を川に落として置き、時間がたってから上げてみると、円い筒にウナギが入っているというような漁。
どちらも僕からするとアクティブではなく、面白味に欠けると思いました。
僕が幼い頃にウナギを捕ったやり方が一番楽しいのではないかと思います。

僕が幼い頃というか僕の育った田舎でのウナギの釣り方は、釣り竿なんて使いません。
変わりに棒は使いますが…。


<<仕掛けは、いたって簡単です。>>
・竿 :50cm足らずの細い竹
・糸 :畳み糸(もしくはそれぐらい強い糸)
・はり:手作りバリ
   (丸貝専用針7号位のモノで軸が倍以上のスレバリ)
・エサ:ミミズ
   (線ミミズ)
   ※本当の名前は知りません。
    体に数多くの横縞が入っています。

–釣り方–


流れのあるところで、岩や石が積んである土手や堰などがポイントです。そこがウナギが潜んでいそうな所。ウナギは、だいたい石などが積んである隙間の穴の奥にいます。

川の漁の場合は、必ず川下から攻めるというのがセオリー。
だいたい潜んでいそうなポイントを見つけたら川に入り、エサ付けた棒をゆっくりと穴に入れていく。そして棒だけを取り除き、ゆっくりと糸を引いてウナギが食い付くのを待ちます。



テクニックと言えるほどのモノもないですが、ゆっくりと引いていく時に微妙に段階を入れてクイックに引くことです。決して早くひいてはダメ!早く引いたら絶対にウナギは食ってきません!
この穴に入れて誘う方法をポイントと思われる所に手当たり次第にやってみるのです。

ウナギが食うと、畳み糸がゆっくりと引いていきます。魚のように早いわけもなく、ゆっくりと引いていくのです。
当然ですが、その時がアタリです!


ここからは、力仕事です!道糸の畳み糸の出番です!
ただただ思いっきり引くのです。思いっきり。返しがないので、いったん緩めると外れてしまいますからいったん引いたら穴から引き出すまでは、力を抜いてはいけません。
子供だと体ごと使って、引きます。足を穴の横に置いて踏ん張るわけです。
ウナギの力は大したモノで、畳み糸が手に食い込み大変でした。黒鯛もそうですが、力強い引きが何回かあったのち諦めて出てきます。(引きは、桁が違いますが…)

鰻捕りイラスト


そうこうして出てきたウナギは、腰に付けた魚籠に入れるのです。魚籠というのは今考えても本当に良くできています。一回入れるとウナギは絶対出てこられませんし、竹で編んでいるので呼吸もできると言うスグレモノ。
魚籠

何匹か捕ると持ち帰り、父親に渡す(何故か母は、ウナギを捌くことが出来ない)。面白いからといって沢山捕って帰ると、頭を叩かれた。昔人間の父は、その理由も言わない。多分食べきれないのに沢山捕るなと云う事だったのだろう。
親父は、釘をウナギの頭に差して手際よく捌いてくれる。これが僕の幼い頃の“土用の日”です。

–今ではこっちが貴重な外道釣り!–

“ガネ”と言ったり“ヤマタロウガニ”と言ったりしていました。正式名称は、モクズガニと言うそうです。この“ガネ”が結構大きいのです。甲良の大きさが10cmは、あったと思います。これを沢山捕って、食べるのも美味しい漁でありました。
と言うのも、この“ガネ”と言ったり“ヤマタロウガニ”は、有名な【上海ガニ】の仲間。美味しいはずです。
hair.jpg



モクズガニ
ただウナギ取りからすると、外道であることは変わりありません。というのは、“ガネ”がかかると面白くない。

“ガネ”は、穴に入れたミミズをつつきます。ココでウナギと全然違うアタリ方をします。ココッコッとした後引くのですが、ウナギと違うので全然軽い。それにハサミで挟んでいるだけだから強く引くとすぐはなしてしまう…。
ゆっくりと引いてきて、片方の手を穴の上で待ち伏せしておきます。(ガネは人間だと判ると挟んでいるエサを離しすぐに穴に戻るから)
甲良10cm大のカニは、気を付けないとハサミで挟まれたものなら飛び上がるぐらい痛いです。気を付けて上の甲良の部分を手にとって魚籠に入れます。

unagi_gane.jpg

–食べ方–

断然みそ汁が一番旨いです。ぶつ切りにしてミソで味を付けて食べる。これが一番!
海の蟹のように食べるのも良いですが、そんなに身が付いていないので食べ応えがあまりありません。
また、手の部分に毛が沢山生えているので、食べにくい。(アメリカでは、手袋ガニというらしい)


幼い頃、敬遠していた“ガネ”も今では、貴重な生物らしいです。
確かにウナギは沢山見かけるけど…川で生息するかになんて、沢ガニぐらいであまり聞かない。

そう言えば、幼い頃、沢にたくさんいた川エビがいなくなった。(見かけなくなった)
メダカも絶滅の危機にあるらしい・・・・。
フナ釣りなんかしていると、良くエサを泥棒していく亀もそんなに見かけなくなったという。

エビのイラスト
いつものようにあったのどかな風景がどんどん遠くなって、貴重な風景になっていく。














僕の懐かしい、思い出

tedukami_titol.gif

井上揚水の『少年時代』を聴くと必ず思い出すのが、「川での遊びです」。 僕が育った田舎には、名もない小さな川が流れておりまして“遊び”と言えば川か山、たまに海といった感じでした。
フナの写真
メインで遊ぶのは、この“川”です。
それも夏の暑い季節になると、川には入って泳ぎと一緒に川魚を捕って遊ぶ。

僕の生まれ育った鹿児島の河川は、野田智祐さんが結構本とかで紹介していますが、沢山の川遊びがありました。その中でも一番楽しいのが、【川魚の手掴み】です。

関東の川に入って思ったのは、水が冷たいと言う事でした。これにはビックリで、よくテレビとかで川遊びしている風景を流していましたが、こんなに冷たくてよく遊べるなぁ〜と感心しました。
川の下流から上流に向かって沢登り的なことをしながら、フナやモロコ(鹿児島弁でモッゴロ)、アブラハヤ(鹿児島弁:ブラメッチョン)、アカヒラ(東京弁で何というか知りません)、ゴモンチャン(同じく)たまには鯉等を手づかみにしながら登っていくのです。

出で立ちは、“トトロ”に出てきた田舎少年そのままです。違うのは腰に網をぶら下げていること、これは捕まえた魚を即座に入れるため。 いたってこのスタイルは、“小物用”です。それは当然子供の手でも捕まえられるサイズの魚だから…笑。
少年のイラスト
下流の方から少しずつ登っていくのですが、登っていく際に川の土手や石の下に手を入れて、潜んでいる魚を手掴みにするのです。
川岸に生えている草や竹藪にの根が、川の中で浸っている所が、一番の魚の隠れ家です。
そぉ〜と両手を水の下から入れて、潜んでいると思われるところまで手を伸ばします。その時魚は、必ず流れに対して頭を向けていますから、頭の方から微妙に先に手を入れていく。魚は、当然後ろ向きには進めないので、前に行くしかない。先に入れた流れの早い方の手を待ちにして、尻尾の方の手を動かしていきます。
だいたい寝ているか潜んでいる魚は、動きません。そのまま簡単に捕まえることが出来ます。(笑)

・コツは、簡単です。 頭の方を先に口の部分を握るように持って行き、その後すぐに尻尾の部分を握ります。
魚って、頭と尻尾を握られたらどうしても動くことが出来ません。そのまま腰の網のところまで持っていって入れるだけです。
大型の魚になると子供では、持ちきれないのでエラの下の部分に指を入れてつかみます。
こういう掴み方をするともう魚はどうすることも出来ず、網にはいるだけです。

・石の下に隠れている魚も同様にして捕まえます。
大きな石だと凄く奥まで手を伸ばさなくてはいけないので、僕には大変でした。
小さな石は、コロッと転がしてみると小さな魚がビックリして少し躊躇したような感じがあります。その時を狙って捕まえます。





オシドリ

僕の育った川には、番いのオシドリが(おしどり夫婦)いました。本当に綺麗な鳥で、ビックリさせないように眺めていました。鳥の仲間もいろいろ豊富に生息していました。サギやカケスの仲間、四十ガラやモズの仲間達など。
今考えるとかなり自然に恵まれた環境で育ちました。



さて、川魚の掴み取りで注意しなければならないのは、何と言っても蛇です。それもマムシ。アオダイショウや普通の蛇は怖くないですが、マムシだけは怖くてしょうがなかったです。こいつに咬まれると指は落とさなきゃいけない…(いつもオヤジにそう言われていました)。足を咬まれたら、足を落とす…。恐怖で一杯です。

一度川に潜って水面に出てきたら、目の前をマムシが泳いでいて、ビックリして(お互い)急いでもう一度川の底に潜ったのを覚えています。

魚を捕るイラスト

だいたいの所で、魚が一杯になると家に持ち帰り、後は母にバトンタッチ。捕れた魚を、料理してくれました。
親父が好きで僕が嫌いだったのが、「煮魚」でした。
川魚を煮ると海の魚と違いだいたい白身で、柔らかく歯ごたえが無い。おまけに小骨が多い…。少年時代の僕はこれが苦手で、イヤでした。一番好きな物は、やはり揚げてフライにしてもらうこと。(今は、随分とオヤジになったので煮魚の方がいいかな…笑)




こんな素敵な話は、僕が東京に出てきた頃までのお話です。
今から二十年も前の話。

残念なことに今では、そのようなことは出来ないそうです。
上流にある養鶏場から流れてくる汚泥や科学物質で川は汚染され、もう川エビも川ガニ(鹿児島弁でガネ)も本当に見かけることが少なくなったようです。
淋しい限りです。出来る時(工事の噂)にあんなに反対運動したのに(子供達で)…
結局行政というモノは、【袖の下】や【利 権】と言ったものに負けてしまったのでしょう。
大人というモノは、いつでも嘘つきだった。いま大人になった自分が強くそう思う。
いつの時代でも同じ。
上流にある養鶏場と言えば、東京(都市)アタリでは【自然豊かな陽の下で育ちはぐくまれた鶏肉や卵】といったフレーズで売られています。
知らないのは一般ピープルだけ…。


●こんな事数えればきりがない…。日本全国同じような事例で一杯の筈だ。
僕等は、そんな中で暮らしている。(改めて問題視するのもおかしいぐらいだ!)

●何年か前に帰郷した時、懐かしくて川に行き「手掴み」で魚を捕っていると、子供達がやってきて「おじちゃん凄いよ!」と拍手喝采だった。僕も得意満面で、「こうやってやるんだよ」と教えると…、
子供達が云う事には、「親に川には行って遊ぶな」と言われているらしい…。急に興ざめしてしまい…。
『川遊びぐらい良いじゃねぇかよ!』と腹立たしく思ったけれど、どこかで“そうかもしれない”とも思った。
たった二十数年でこんなに変わるのだろうか?・・・

そうかもしれない。人は、
つい六十年前は、『天皇万歳!』と言って公然と若者が死に。
その六十年数前は、『親の敵!』と言って公然と若者が死んでいった。
今の僕たちは、『何!』に対して、命を捨てるのだろう?

・・・・・たった二十数年で変わるのもしょうがないのかも


●だから言いたい、戦争を体験したおじいさんやおばあさんのように、僕等は知らないけど、そうだったに違いない話として、「凄くキレイだったんですよ!川って!」