2009年05月20日
巨星逝く
釣りの話ではありません。
太田龍さんが、逝ってしまった。
彼の偉大さに敬服しつつ、憧れの存在だった。
今後、誰が私欲を捨てて、真実の目を持ってくれるのだろう。
安らかにあれ!
週間日本新聞
釣りの話ではありません。
太田龍さんが、逝ってしまった。
彼の偉大さに敬服しつつ、憧れの存在だった。
今後、誰が私欲を捨てて、真実の目を持ってくれるのだろう。
安らかにあれ!
週間日本新聞
今日は沢山お魚をいただきました。
何が嬉しいというと、、、釣り仲間からお魚をいただくことです(黒鯛以外ですが・・)。
今日頂いたのは、マダイ・ホウボウ・メバル・ハタ。
早速料理しました。
こんなにあると、食べきれません。
美味しいお刺身と煮付け。釣り師で良かったと思えるひとときで、焼酎が進みました。
さて、昨日使った竿は、懐かしいリョービのヘチプロでした。
タックルベリーで何と!!!!
[ 2,100円 ]で買った物です。このリョービヘチプロは、最高でした。
何の加工も入りません。
僕は、ついつい竿をいじってしまうのですが、この竿はそれをする必要がない程よいと思えました。
リョービカンバック!!!
今日は、考えあぐねたあげく、、鳥浜に向かいました。
今年最初のめぐみ。相変わらずの常連さんや竹内さんの元気な顔を見ておもわず心がほぐれます。東京湾黒鯛研究会の山下さんもいらっしゃっており、今年も元気そう。
さてさて、今年最初のめぐみは、低い堤防から攻めてみます。
1周してもアタリ無し。気合いを入れた1周でしたが、、、ダメでした。
2時間ほどして、高い堤防へ。
ハングの所でアタリがあったと聞いたので早速落とし込んでみると・・・タンクがグチャリ。
全くアタリがわからない・・・(苦)
何という感覚に鈍さでしょう・・と強く反省。
またアタリ無くなり、、、全体をもう1周して、またハングへ。
するとまたまたアタリあり。今度は、わかりましたがのりません。この後2回続けてアタリあり。
(下手なのでのりません・・・)
しつこく落とし込んでいるとまた、アタリがありましてタンクがグチャリ。
もうエサがないので仕方なく潰れたタンクを使っていると、アタリがあってやっとのりました。
今年の初物!!
綺麗な魚体。
嬉しくなり即放流しました。
帰りに竹さんから、キスをいただきました。
美味しくいただきました。
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釣行回数:3
釣 果:1
釣りに行けない日々なので、、、、
3月の終わりに取材に行った時のこぼれ話です。
写真の雲仙温泉にある「地獄街道」の光景ですが、
地下から湧き上がる煮えたぎった温泉が、ボコボコと音を立てて地下から湧き上がってきます。
いかにも活性の高い温泉で「良い温泉郷だなぁ」と思わせてくれる素晴らしい景気でした。
夢中になって、写真を撮っていると、、、
ファインダー越しにぼーっと湯煙越しに見えたのは、温泉山の中腹に建ててある「十字架」でした。
「また、何でこんな所に十字架があるのだろう?」と思いました。
近くにあった碑を読んでみると、切支丹弾圧の時に「殉教」した数十名の碑でありました。
彼らは、この湧き上がる何十度もある温泉の中に入れられて死んだのでありました。
すっかり温泉気分で楽しい取材をしていたのですが・・・・「なんだか、寂しいような苦しいような」思いに包まれました。
僕だったら、どんなに頑張ってもこんな熱湯の中にまで入って意志を貫くなんて事・・・出来ないと正直思いました。
賑わう観光地の中で、忘れてはいけないことを教えてもらえた気がしました。
ヘチ釣りは、やり続けていないと段々熱が冷めますが、やってしまうと病気が発症してしまう不思議な釣りだ。
開幕してオタサンを履いていると、仕事以外は何処でもこのサンダルで出掛けてしまう。すっかりまた僕の体の一部になりました。病気が発症すると居ても立ってもいられずに『釣りがしたい中毒』が激しくなります。
今日は、ゴールデンウィークのキャンプ疲れもありましたが、キャンプ道具の片付けを終えてからやっと11時の舟で横浜沖堤に向かいました。野島も考えたのですが、キャップで浪費した性もあり金銭面を考えて横浜沖堤へ。釣り仲間のアドバイスを頂き、沖目のD突堤へ。
前日の冷たい雨の影響を考えて、真水が入り込んでいるので少しでも影響のない深場を目指しました。
知った顔も見受けられて非常に懐かしくもあり、何故だか嬉しくてたまりません。(釣りって良いなと思える)
そういえば、
去年黒件の講習会に参加したというヘチ人が、熱心に釣りをしていました。こういう熱意が、「いつか花を咲かすんだ」と心を引き締めました。素晴らしい姿です。
さて、以下にもつれそうな良い感じですが、全くもって釣れません。アタリも無く今日も退散でした。釣りが出来ただけでも幸せです。
釣行回数:2
釣 果:0
釣りの話ではないので、スルーしてください。
こういった本を読んでいます。
本来は、こう云ったことを釣りのブログで書いてはいけないような気がするのだけれど、どうしてもどこかではき出さないと気が済まないので書いてしまおうと思っています。
私は、この国の人達は私を含めて全員が「腰抜けヤロー」になってしまっていると思っています。
腰抜けとは、随分だなぁと思うけれども、、、この状態が続くとどしても「腰抜けヤローの国」と思ってしまう。
まだ、《アメリカ合衆国日本自治区》と詠ってくれた方がスッキリします。
・この国に対して命を賭すことができない人々が多いのは、当然のことと思います。
・先生が強くないのも当然でしょう!
・大人が強くないのも当たり前だ。
・ガキがのさばるのもごく自然な風景で。
・政治家が芯が無くヘラヘラしているのも全く頷ける。
・官僚がせっせとお金作りと保身に精を出すのも納得できる。
だって、この国は国としての体を成していない。
頑張って、脚を踏ん張って、こらえようと思ってもこらえる場所がない。
土台が無い。土台が無いからどだい無理!!
私には、まだ隣の北の国が良く見える。
だって、小さい国だけど、大きな国立からいじめられても一つの国として体を成し。立派に喧嘩している。踏ん張って、こらえて、頑張って自分たちの国を支えようとしているように私には見える。
それに比べ、私たちの国は国土に進入されようが、蹂躙されようが、国益が無くなろうが、政治家たちは、見て見ぬふりをしている。
だって最後は、アメリカが安全保障で守ってくれるから。
守ってくれる??!!
そんなセンチメンタルなことで一つの自立した国と言えるのだろうか?
「ねぇ〜、、アメリカさん守ってねぇ!」
なんて、、なんか格好悪い・・・・情けないような・・・
情けねぇなぁ〜〜
チビでも弱くても立派に戦ってくれるオヤジを見て、子供たちは「父ちゃん格好いい!」と思うのではないか。ボコボコにされても俺たち子供を家族を母ちゃんを守ろうと戦ってくれるから、父ちゃんに対して尊敬し、有り難いと思うのではないかな。例え負けようが、父ちゃんの姿は燦然と輝いているのだけれど。
商売上手で、困ったことがあったら日頃からお金を渡している用心棒に「ダンナ、宜しくお願いしますよ。」なんて云って逃げ隠れるのは、
私たち日本人が大好きな水戸黄門の悪役じゃん!
確かこんなヤツ大嫌いだったのに私たちが悪役になっている。。
こんな事を云うと、また小さな問題にすり替えられてしまう。
・靖国問題とか
・従軍慰安婦とか
・君が代とか
・日の丸とか
・原爆とか
・東京裁判とか
・南京虐殺とか
いつの間にか小さな問題にすり替えられてしまい、「うちの父ちゃん格好いい問題」っていうのが、薄らいでしまう。
それで良いのだろうか?
右サイドだろうが、左サイドであろうが、
この国に住む者として「うちの父ちゃん格好いい問題」は、共通の課題だ。
嗚呼、誰かが立ち上がってくれないだろうか。
日々それを望んでいます。
すいません、長くなりました。
今日は、埼玉県寄居の少林寺に来ています。
「アチョー!!」の少林寺ではありません。曹洞宗長谷山にある少林寺。
この寺は、五百羅漢で有名。
一体として同じ表情がないと云われていて、寺の裏から山へ登る山道の脇にずっと置いてあります。
ちょっと、、お地蔵さんたちを見てみると・・・
結構いろんな表情があり楽しいです。
片肘ついて、物思いに耽る坊さん。
なんだか不安げなだったり、、
考え事していたり、、
上を見たり、、
笑っていたり、、、
あげくにうっぷしていたり、、、
何ともユニークなのであります。
近くには、ダム湖があり魚釣りをいそしむ人々がいます。
また、今有名になったかんぽの宿があります。
このかんぽの宿には、露天風呂があって大変人気だと聞きました。
梅の里としても結構有名です。
今は盛りと梅が花を咲かせておりました。
桃源郷に来たような旅でした。
釣りの話ではありません。
完全にふられてしまった。
期待していた土曜日の釣りですが、駿河湾に来てみると波が高くてボート無しとなりました。
仕方なく東京湾側に行ってみるとここも波が高く、ボートはダメだという。
朝から三浦半島をドライブして釣りもせずに帰ることになった。
途中、NHKのラジオを聞いていると「文芸選評」という番組があり、何とはなしに聴いていた。
一般公募の短歌を選者が詠んでいるのだが、、、これが酷い。聴くに堪えない短歌である。途中頭に来てラジオ切り、釣りができない辛さも重なり悶々として自宅に戻った。
かみさんとたまのランチでもと地元の商店街を廻ったその後で、短歌が気になっていたので本屋で万葉集と啄木を買った。
これが良かった。
スタバへ行き、二冊の本を読みふけった。気がつけば、夕方の四時半。四時間も喫茶店で粘るなんて何年ぶりだろうか?心地よい時間であった。
気分が良いので、地元の銭湯に行った。
この銭湯は、露天風呂もあり、サウナもありと何とも嬉しい銭湯。
本を持っていき露天風呂で続きを読む。今日の露天風呂は、「ラベンダー湯」らしく香りも良く読書が進む。
しばし時間の経つのを忘れ、体と心の疲れを落としたように思う。
なかなか無い充実した休みだったと思う。
「万葉集」から
あしきひの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに
[ 大津皇子 ]
「一握の砂」から
新しきインクのにほひ 栓抜けば 餓えたる腹に沁むがかなしも
今日も釣りの話ではありません・・・。
上の絵は、「どんぐり公国」の旗を持った兵士が走っているところ。
誰しも争いごとを好まない平和な国の「どんぐり公国」だったが、この星が温暖化になり、異国の「アーモンド帝国」が海を渡って攻めてきた。アーモンド帝国は、自国が暖かくなり人口が多くなったからであり、今まで寒いと思われてきたどんぐり公国だが自分たちにも住みやすい環境になったからであった。
もともと争いごとのない国のどんぐり公国だから武器や戦闘能力は低かった。当然ながら壊滅的な打撃を受けた。もうどんぐり公国は、オシマイかと誰しもが思ったその時、
『歴史が動いた・・・』
隣の小国である「椎の実(しいのみ)公国」が援軍を送ってくれたのだ。
このシーンは、その時のものである。
死を待つしかないと意気消沈しているどんぐり公国の市民たちに、一瞬でも早く椎の実公国の援軍がやってくることを知らせるために、勇敢な兵士が自国の旗を持って走っている。
『希望を捨てないで欲しい!』
果たして、どんぐり公国と椎の実公国はアーモンド帝国の侵略を防ぐことができるのか?!!
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と、いう絵でありました。
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さて、全く釣りとは今回も関係ないのであるが、、、
ちょっと思ったことがあるので雑感として述べてみたい。
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変わった意見かも知れないが、、、僕は、「アホウ」を応援しているのだ。
今までにないどっしりしたリーダーだと思っている。我が国のリーダーは、鈍いぐらいがよいのだ。今は、アホウが必要だと思っている。
ヤベぇの時は、バンソウコウが登場した。
今回のアホウには、イネムリだ。
壊滅的な打撃だが、、アホウに頑張って欲しい!!!
せめて今年の九月までの任期を全うして欲しいのだ。
どうしてみんな「アホウ下ろし」をするのだろう?
アホウは、好感が持てて良いのだが・・・
こういうタイプは、みんな嫌いなのかな?
・・・・
今日は、春の陽気である。2月だというのに、初夏のような気候だ。強風と云うことで、釣りは早々にあきらめて、予定の通り藤沢にある「白旗神社」を訪れた。
白旗神社は、源義経公の伝説がある。
兄貴の頼朝に狙われた義経は奥州平泉辺りで自害した。義経の首は、酒漬けにされて江ノ島の浜近くの「腰越の浦」で首実検が行われた。
酒漬けにされた首を見て、「これが義経に違いない。」と検分するのって嫌な気がする。何日も酒漬けされた首を見て、判別できるのであろうか?
でも昔の中国よりは、まだマシだ。漢の時代あたりでは、敵の大将の首を塩漬けにした。いわゆる「塩から」にして、広い広い中原を行程して大将に献上するのだ。勝った大将は、塩からになった敵将を喰わなければならなかったという。何とも嫌な役割だが、この時代はそれが普通だったのだろう。もっと前は、攻めた民衆(多分敵兵だけ)の目を刺していたという。
話が寄り道してしまったが、検分された義経の首は何故だか「腰越の浦」から藤沢駅の近くを流れる境川を逆流し、遊行寺の前を通りこの「白旗神社」に流れ着いたという。
実際に、首を洗ったと云われる井戸がある。
『首洗いの井戸』
上の写真左側は、義経と弁慶の首塚である。
やっぱりこの街の周辺は義経縁の土地柄で、古の英雄を偲ばせる石碑などが多い。白王山般若院荘厳寺は、明治の神仏分離できたお寺だ。もともとは白旗神社と同じだ。こういった分離されたお寺や神社は多い。
帰り、御世話になっている方に会いに行った。
地元藤沢のことをお聞きした。
家康が、江戸に街を開くずっと以前から藤沢は歴史の重要な通行点であったらしく。頼朝や早雲と云った名だたる武将が通り過ぎ、西行や芭蕉と云った唄歌いなども行き交ったらしい。
今でも藤沢の東海道では、蔵や街並みがその風情を残している。
やはり四国からの帰りと謂えば、これである。
あの去年のイベントから帰って、密かに購入した健康食品を食べていた。
イベントで知り合ったおじさんが言う通りであった。
『朝が来たのである。』
何かの間違いだと思ったけれど、、、本当でした。(汗)
(以下、画像と関係ないです。)
やはり帰りの電車では、ビールでしょ♪
これがあるから長旅も我慢できると思っています。
それにしても有機栽培をあそこまで徹底して取り組んでいる方は、日本にはいないのではないか?と思う。完全に農薬は使っていないし、十分に寝かした土地で栽培しているのだから本当に尊敬に値する。
「単なるお金儲けなら、ここまでは誰も出来ないよ。」と、おじさんは語った。
「僕は、死線を彷徨ったから信念を持ってやっているんだ。」
「この熱意が、県(愛媛)の人達にも理解していただき、地域の人達も動かすことが出来た。」
「自分が経験した事だから、言葉に力がこもるんですよ。」
細かくは、ここでは言えないけれど、、、
夏、また行くことに決めた。
「男が男らしくあるためには、何よりも健全な食生活ですよ。」
とおじさんは教えてくれた。
『男の朝なのである。』
明けて、10日。
道後温泉から東温市に向かう。
東温市には、去年のイベントで知り合った「ぶれないおじさん」が、勧めてくれた畑がある。
僕は、気になっていたのでとうとう畑まで見学するために東京からやってきたのだ。
生産しているおじさんからとても親切に製造過程を教えてもらった。何というオーガニックなのだろう。ビックリであります。正真正銘のオーガニックでありました。
いろんな社会の裏に染まっているものだから、、、、
有機栽培とか聞いてしまうと初っぱなから疑ってしまう。
どうもこの目で確かめないと気が済まなくなっています。
実際、去年もらったウコンも本当に良く効いた。驚くほどである。
このウコンやケールがどのようにして出来ているのか?本当に有機栽培なのかというのを知りたかったんだ。
下の写真は、ウコンを乾燥させている写真。
大変有意義な時間を過ごしていたら、すっかり帰る時間になり観光もせぬまま愛媛を後にした。
また次回ゆっくり来ようと思う。続きを読む
その夜、京都から愛媛県道後温泉に来た。
新幹線で岡山駅に行き、しおかぜ急行で愛媛松山駅下車のコースだ。
松山は、僕の故郷鹿児島と同じようにちんちん電車が走っている街である。何とも懐かしい光景である。
さらにさらに司馬遼太郎が書いた『坂の上の雲』の舞台でもある。秋山兄弟や子規の故郷でもある。
何とも胸の高鳴る思いがする。
早速だが、その香りを嗅ぐために道後温泉にやってきた。
最高によいお風呂でありました。
温泉にゆっくり浸かった後、大きなアーケードになっている商店街を歩き、その街の香りを楽しんだ。
が、勇んで入った酒処では、その土地の日本酒は置いて無く・・・・
この頃何処でもそうだけれど、焼酎ばかりであった。
焼酎は、我が田舎の文化であるが・・・
地方へ行き、その土地土地の酒を味わいたいのが旅人というもので、焼酎流行りが哀しい。
旅人タロは、今日は京都に来ている。
京都のお茶処と云えば、宇治茶である。
その宇治茶の産地なのかでも特に美味しいと謂われるのが、和束町で採れる『和束茶』である。早くから無農薬栽培にも力を入れている地方でもある。
度々この美しい風景はテレビなどで紹介されているからご存じの方もいるに違いない。
宇治茶は、もともと相楽郡和束町の周辺で採れるお茶のことを謂う。今では、滋賀県、奈良県、三重県で採れるお茶を宇治茶と謂っているらしいが、本来はこの周辺が産地である。
ココの農家のおじさんと暫く話をして京都を後にした。
時間があったので、京都周辺を暫く散策する。
駅近くの有名な東本願寺は、現在工事中らしく観ることが出来なかった。
それでも平日のうららかかな日には、旅人達が疎らに行き交っていました。東本願寺門には、鳩のエサ売りのおじさんがいて、何気に絵になる風景を作っていました。
京都で土産でも買おうと思ったけれど、何処を向いても八つ橋ばかり。それも値段が高い。人を馬鹿にしたように一様に観光客目当てにしたところが多く(当然のことだけど)嫌気がさしてしまい。
美味しそうなおにぎりが安価であったので済ましてしまった。
こんなに寒いのに・・・
釣りに行っている人がいるらしく、釣友からタコを頂いた。
僕は、寒くて仕方が無く早起きはしたものの釣り行く勇気が無く自宅で温々していた。
釣具屋には、暇つぶしに行くけれどさすがにこの時期に勇んで釣行するのは辛いものだ。
しかし、こうやって釣果を頂くと、、、
「僕も釣りに行けば良かったかな?」と思ったりする。
旨いタコ刺しである。
盛っている器は、岐阜県の創雅苑さんの作家:水野 正幸さんの作です。
赤い色つけが料理を一段と美味しく引き出させてくれる。
大好きな作家さんの一人。
釣友のタコで美味しい夜でありました。
旅人タロは、今回宮城県鳴子温泉郷に来たのである。
鳴子温泉駅には、無料の足湯がありゆっくり浸かると体全身が温かくなり、温泉に浸かったのと同じ様な気分が効果が得られる。
鳴子温泉駅は、古川駅より陸羽東線から新庄方面へ向かう途中にある。昔から奥の細道で有名だ。松島からの旅の途中、芭蕉と弟子の曽良は尿前の関所で怪しまれて足止めを喰らったという話がある。
また、何で鳴子というかというと、一説には源義経に子供が生まれたがどうも「オギャー」と泣かないのでこの地の温泉に入れたところ啼いたらしい。よって啼く子から鳴子と転じて地名となったという。お好きな方は、こちらをご覧ください。 >> 鳴子と尿前について
隣の中山平駅から車で10分程で、秋に最盛期のブルーベリー畑がある。
今は、ただただ雪だらけで何処に何があるかわからないが、左手の方は、ブルーベリーの畑になっているらしい。
南国薩摩育ちの僕には、この大雪は目を覆うばかりの光景だけれど「今年の雪は少なくて困ります。」とのこと。通年ならば、ブルーベリーの木が埋まるそうだ。
この中山平には、去年遇った宮城山形の大地震での災害を活かして街興しの一環として、町内の商業組合が一団となり、地元のお米「ひとめぼれ」を活かして日本酒を造った。
特徴としては、仕込みの水に『地元鳴子温泉のお湯(水?)』を使っている。その名も「中山平」純米吟醸で16.0度と通常の日本酒より1度高くなっている。
お味は、スッキリ爽やかな飲み口で香りは何ともクリーミィーである。
お好きな方は、こちらをご覧ください。 >> 純米吟醸:中山平
っって、、、
この頃、釣りせず旅行ばかりしているなぁ。。