2013年6月25日 その1│何気ない日々
本日は、一発かましてやろうと思う。
ガレイドスコープ:「すべてを見通す目」に24時間見つめられるロンドン市民
本日は、一発かましてやろうと思う。
学問とは、真実を追究する行為のことである。
よって、万象のあらゆる虚を解明し、
完膚無きまでに喝破することにある。
という観点に立って、話を進めたい。
この事に気がついたのは、小学校3年のあたりだ。兄らがとてつもなく頭が良く、地域では飛び抜けて常に一番だったことがきっかけだ。
学校の成績が良いということと人格的に素晴らしいということは同一ではないことを理解し、学業を棄てた。(興味の無くなった縫いぐるみのように叩かれていたからね。)以来、真理の見えない絵画と詩文にどっぷり漬かり、「程ほどと低脳の境」を泳ぐことを楽しみとしたのだ。
このような僕の観点からすると、
戦後教育で育ったエリート達は、虚を解明せず、従属・隷属することに長じ、もっぱら自らの足で歩むこともせず、ひたすらに主人に仕えることを生業とする人たちであり、他のことを良しとしない洗脳された者たちである。
ようは、国体や組織を盲目的に維持する人たちだ。
つまらないよね。
子宮を持った女性は、本能的にこういったつまらない者たちよりも直感的に体制に反発する不良に魅力を感じるのだ。決して誉めたものではないが、動物的に正しいと思うし好意が持てる。
(まぁ、それを悪用する輩は人間の屑だけどね。)
何が言いたいか?
戦後教育70年。60年を一巡とすると、もう
僕なりのメッセージ。
「切磋琢磨」って言葉あるじゃない。
この言葉、大嫌いなんだよね。
自分という個を破壊つくせば、
磨かなくも常に光っているよ!
「塵も積もれば山となる」馬鹿言ってんじゃないよ!
ゴミの山だって!
気付いて欲しいな〜。