虫の大国だった小屋にバルサンを焚く
今月の連休には、「山の神も行く」と申すので・・・
慌てて虫嫌いの山の神のためにバルサンを焚いて虫除けをした。
軽く掃除してから、バルサンを焚いて3時間ほど放置。
その間、周辺の山々をドライブしたんだけど・・・
やっぱり山しかない。
当たり前か・・・
至るところに「熊出没注意」の札がある。
山仕事していたおじさんに聞くと、「今年は熊が出て作物を荒らして困る」ということだった。
食い物をそこらに置いておくと「やられる」から注意しなさい。
なんだとか・・・
本当なんだ・・・
スコールのような雨と雷で何もできず
小屋に帰って、掃除や草刈りをしなければならないというのに・・・
帰ってきたら集中豪雨と雷。
これじゃ、お手上げです。
何もできない・・・
できることといったら、、、
ノンビリとお酒を呑みながら、つまみを食べる
ことぐらいしかできないじゃないか。
ったく〜〜〜
(悦)
つーことで、日も高い内から呑むことに。
日は高くても、もの凄い雨なので、ほとんど暗いのだけれども
ちょっとだけ、暖炉に火を灯してみた
酔いもいい加減に回ってきて・・・
独りでジッとしているのも何だから、、、
暖炉に火を灯してみた・・・
結果、、、
チョー熱くて仕方がなくなり大汗をかいた
当然といえば当然だよね(苦)
燃える火に誘われるように寝てしまった。
枯葉の山を築く
翌日は、お掃除。
何年も掃除していないので枯葉が山のようにある。
小屋の前のに道は、ちゃんと舗装してあるので、通行の邪魔になって仕方がない。
苦情が来ないように、枯葉の掃除をしたのだけれど、、、
滝のような汗をかいた。
少しずつ片付けて行こう。
東に行って、徳川についた久永氏は、出世した・・・
群馬県伊勢崎市に大東神社という社があり、以前は旗本久永氏の所領だったところだ。
同じ久永なので、興味があって足を運んでみた。
この徳川氏に仕えた久永氏は、出世した。
有名なところでは、映画赤穂浪士に旗本久永氏が出てくる場面がある。
大石内蔵助に対して、評議の結果「皆死罪」と申しつける旗本役である。
また、宮城谷昌光の小説「風は山河より」の三河から江戸へ登る徳川のくだりでも久永氏が出てくる。
プチ久永氏について・・・
久永氏は、島根の石見銀山の近くに今でも「久永の庄」という場所があり、そこから広がったといわれている。
この久永氏から賀茂氏が出てくるので、もともとは縄文人だったのだろう。
賀茂氏から伝わったのが陰陽道で、その弟子だったのが有名な安倍晴明だ。
天智天皇の時代に苗字が二文字になり「久」に「永」を付けて久永になったことがわかる。
「久」は、アジア大陸の極東北部にいた「狗」の人々が流れてきたと思われる。なぜなら現在でもウラジオストックあたりから小舟を流すと島根に到着するからだ。
このあたりの話は、歴史好きにはたまらない下りなのだけど、そうではない人には退屈なのではしょります。
さらに、、、
「永」は、ナーガでありこの性がついている祖先は祈祷系人々(もしくは神官)だということも推測されるのだ。
久永さんは、全国に3000人弱いるようだ。
- 多くは、九州南部に存在する。で、僕の祖先もここいらだ。
- 東に行って徳川氏についた久永氏。彼らは、出世した。
- 京にもともとから根付いた久永氏いる。
- 部落民に落ちた公家系久永氏もいるようだ。
- 宝暦治水で薩摩から尾張へ行き、そのまま揖保川上流に住みついた久永もいる。
- 大東和戦争時、貧窮した久永氏から苗字を買った久永さんもいる。
なぜ知っているかというと、、、
以前フェイスブックに参加していたときに「おーい久永さん」というのを作りフェイスブックに参加している久永さんたちから教えてもらったからだ。
我が久永氏は、たぶん九州の豪族「菊池氏」の傘下にいり、菊池氏が滅んで西郷家(西郷隆盛)と同様に島津家に入れてもらったのだろう。
なぜならば、島津家では、「永」がつく氏は外からやってきた人びとを指すからだ。
久永、末永、吉永、岩永など。
つらつらと書いてしまった。
ではでは。