鹿児島には、三つの有名な山稜があります。
山稜とは、天皇の塚墓のこと。
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今回、行ったのは吾平山稜。
本来は、姶良(あいら)といったが、国分近くにも姶良があり紛らわしいので明治期に吾平(あいら)と変えたらしい。
この吾平山稜は、小伊勢と呼ばれ近年ではつとに有名らしい。
行ってみるとわかるけど、お伊勢さんにとても似ています。
誰の陵墓(みささぎともいう)かというと神武天皇のご両親。
お父さんが、、
鹿児島市の鴨池港からフェリーで垂水に向かいます。
垂水に着くと、手つかず防波堤が・・・
吾平山稜にはこのような説明がありました。
厳かな空気の中をしばらく歩くと、如何にも厳格なエリアに突入します。
途中、手を濯ぐ処があります。
これは、お伊勢さんの五十鈴川と一緒の作りですね。
塚墓まで長くて広い庭が整備されておりました。
行きついた奥には、川を隔てた場所に鳥居がありそのさらに奥には長い洞窟。
この洞窟に石棺があったそうです。
3月の20日過ぎで桜は満開でした。
地元の物産が置いてある施設で、ガイドの女性にこの吾平山稜を紹介してもらいました。
ざっと説明しよう。
・大昔、南九州一帯は日向(ひむか)といった。
・南九州は、神代の天皇の話が非常に多い場所。
・特にこの志布志は集中している。
神代の天皇達は、この地で王国を育み。北上していった。
奈良の樫原は、志布志の柏原から来ていることは間違いない。
などなど。
ガイドの女性の話は興味深く、説得力のあるものでした。
邪馬台国や倭をどうしても近畿地方に置きたい学者らは、総出で否定しているらしいが・・・・
昭和30年代まで毎年誰かしら皇族がここにお参りに来ていたのは事実だ。
この国を征服した者どもは、この地からすぐ南の種子島からやってきたと僕は真剣に思っている。
では、彼らはそれ以前はどこから来たのか?
迷っている・・・
多分済州島を経て朝鮮半島だろう。
その朝鮮半島も遼東半島の上、現在の北朝鮮(昔の満州)か!?
感激したので、正座した!!