30年ぶりに同級生と呑む

小・中・高と一緒だった同級生と30年ぶり会った。
彼の愛娘が、横浜の国立大のオープンキャンパスで視察のために同行してきたという。


彼とは、幼い頃から鮒釣り、鮎の引っ掛け釣りなどずっと遊んできた仲。
喧嘩もしたし莫迦もした旧友だ。



横浜駅で待ち合わせをすることになった。
横浜駅と言えば、東アジアのサグラダファミリアと揶揄されるほどの工事続きで、迷路のようになっている巨大ターミナルだ。
その巨大な駅で、鹿児島からやってきたおじさんと果たして出会えるのだろうか?!
不安がよぎった・・・



案の定、お互い申し合わせた場所に行くと、やっぱり居ない。
電話を掛けて、お互い話しているのだが、どこ居るのかさっぱり分からない。


分からないはずである。
僕が見知っている同級生は、昔見た同級生であり、
現在の彼は、50代半ばのおっさんなのだ・・・
30年以上も見ていないのだから、仕方が無い。
服装を聞いてようやく彼だと言うことが判明した次第だ。



30年ぶりにあった彼は、すっかり禿げ上がり
目元は幾分面影があるものの、それ以外は別人と言っていい。
それは初対面のような新鮮さもあり、不思議な感じだった。

30年ぶりに同級生と呑む

それでも「○○君」と最初は呼びかけていたものの、
「○○」と呼び捨てにするようになると、
昔の感覚が急に蘇り、何らわだかまりがなくなって
昔のままの間柄に戻ることができた。



僕らが卒業した小学校は、過疎の村で、
学年は男女合わせてたったの16人。
分校になるという噂もあり、このまま消滅するともいわれていた。
同級生が少ない所為かみんなが仲が良かった。
同じ小さな村内のことだから兄弟やじいさん婆さんのことなど
知らないことがないくらいの付き合いだった。



しかし、


今では鹿児島市のベッドタウンに急速に豹変しているらしく、
ひとクラスしかなかった小学校が4クラス。5クラスになっているという。
過疎だった村は、見知らぬ住民で埋め尽くされているようだ。



僕からすれば、、、

卒業した学校が過疎のために無くなるというのは淋しいが、
忙しない急造の市街地になるのは、なんともいただけない・・・


悲喜こもごもとは、こんなことを言うのだろうか。




彼とは、還暦になった時に
「また、会おう」と約束して別れた。






30年ぶりに同級生と呑む

その夜は、かみさんお手製の水餃子で一杯。
お酢と黒胡椒だけで食べるアイデアに脱帽。
ひとしきり感慨深い。

30年ぶりに同級生と呑む

先週の小母さんを真似て、テナガエビ釣りに出かけたのだが、
大雨の影響と潮の満ち引きを計算せずに釣行したおかげで、
軽くボーズを喰らいました。

次回、チャレンジします。








版画教室は、最終日を迎えた・・・
あまりにも中途半場である。
エッチングの制作過程は憶えたけれど、
作品というレベルまでたどり着いていない。

もう一度通ってみようかと思います。

30年ぶりに同級生と呑む