走行距離1,000キロ強の遠征なのだ!
今年も待ちに待った『新潟遠征』に行ってきました。
今回は、山形の沖堤が渡れなくなるという情報をキャッチしましたので、是が非でも「行こうじゃないか」ということになり、
一路、東北道から福島へ、そして遙か山形の酒田へ。
早朝の酒田は、霞んで何も見えず
山形に到着したのは良いものの・・・
港が、ガスに包まれて何も見えない状態、ちょっと不安であります。
開始20分足らずで、旧札さん真鯛をゲット
遠征のたびに不幸に見舞われる一万円さん改め旧札さんですが、、、
なんと!
開始早々、良型の真鯛をゲット!!
今年の旧札さんは、ひと味違います・・・
今回、登坂さんはスケジュールの都合で1日だけの参加、夜には新潟から新幹線で帰ります。
っていうか、1日だけって凄い情熱です。
旧札さん、笑顔が止まりません。
釣れていないオイラを肴に、ドヤ顔の連発です!!
やはり・・・
旧札さんに祟りが・・・
旧札さん、喜びすぎて、ヘラヘラ状態からフラフラ状態にスイッチ。
ヘラヘラ笑いながら、熱中症に近い症状でございます。
上の空で、云うことには・・・
『鳩が嫌い!!』
を連発・・・
「鳩が嫌い」って、何の呪文なのでしょうか!?
ま、具合がよくなったので忘れることにしましょうか。。。
海ドボンの稲ちゃん、どん底から凄い復活
翌日、14日日曜日
今日から参加の稲ちゃんですが、、、
初めての新潟遠征です。
意気揚々と参加したのはいいのですが、、、
足を滑らせて海にドボン・・・一気に凹み、どん底気分なのでありました。
僕らは、傷ついている稲ちゃんを尻目に、本命のいるベースキャンプへ。
稲ちゃん、ここで終わりかと思いきや・・・
凄い復活を遂げました!!
この日、唯一のシマダイと真鯛をゲット!!
どん底から頂点へ爆上がり、アドレナリンが噴火レベルで上がっております。
これって、、、
「二度と来るもんかぁ!」状態から「絶対、来年も行くぞ!」状態へのシフトでありました。
新潟の川に移動するとドブ師が、すぐ釣った。
東京のドブといったら、この人抜きでは語れない。
その名は、turiちゃん。
沖堤の川崎新堤には、1度も行ったことないし、本人曰く『今後も行くことはない』という
頭の先から足の先まで『ドブ師』なのであります。
夜は、恒例の懇親会じゃぁ〜〜
これ以上は、説明いらないよね。
翌日は、雨の予報で残念ながら中止となりました。
オイラは、70cm級の真鯛を狙ってリンユウサイあらため油淋鶏(ユーリンチー)3mと4号道糸、3号ハリスで挑みましたが、バラシだけのノウフィッシュでありました。
チャンチャン〜〜
来年も行くぞ!!!
和時計で人生を考える
ここからは、例によって下らん話なので割愛を。
人生61年生きてきてようやくわかったことがある。
それは、生きていく中で何らかの意図的な介入があるということ。
違う角度で云うと、、、
人は、幸福や不幸があり、それはすべて運、不運があるということ。
たとえば、、、
「あのままいけば、絶対幸福だったのに、何故あの時あのことが起きたのだろう」
とか、
「あのままだったら絶望だったのに、あの時偶然にアレが起きて、良くなった」
など。
こんなこと一々数えたら枚挙に遑がない。
それは、『何故なのだろう』と考える。
ユーチューブを観ていて、間一髪で助かったり、ひどい目にあったりと観ていると「何かの偶然」では済まない何かがあるのではないかと、思うのだ。
そういえば、守護霊という存在がある。西洋文化では「守護天使」といわれている。守護霊という存在は西洋文化の守護天使から影響を受けてできたものだと考える。
何か偶然ではないものをこの守護が関わっているのではないか!?なんて・・・
未来は、決定されている
人は、見えない不安や恐怖に駆られると占いなどに走ってしまう。それは未来が見えないからだ。
しかし、未来は既に決定されていると考えることもできる。
たとえば、時計だ。
西洋の時計の針は、グルグルと回り時が進んでいるように思える。
が、「和時計の針は、動かない」
勝手に子の刻、丑の刻、寅の刻がやってくる。
今見ている世界は、既に過去なのだ。
太陽は、約8分19秒前の姿であり、北極星の光は、400年も前の姿。
僕らは、過去を見ているのだ。
自分という時計の針は動かない。
勝手にグルグルと
『未来がやってくる』ということ
『勝手に決定された未来がやってくる』
のである。
こう考えると、「人生において何かの介入はそう怖くない」
未来は決定されているのであるから、そんなものに気を止めることは一切ないのである。
ようは、、、
力尽くで未来を変えようなどと考えずに
自分のテンションを常に上げまくり、自己肯定感を爆上がりさせておけば良いということになる。
であるから、、、
決まっている未来なんか気にせず、好きなことだけをやる!
ことで、『人生は、さらに楽しくなる』のだ。
「そう思うようになった」のだ。