2013年10月8日 その1│何気ない日々
エネルギーに溢れ、歴史に名を刻むほどの男たちは、普通、一穴では収まらない。
他にも情熱の捌(は)け口を求めがちだ。
その匂いを慕って女も寄って来た。
敵意、謀略、陥し穴、反逆、非難中傷の渦中にあって、英雄たちは寸暇をつくり、女の許に通い、酒を飲み、胸の谷間に顔を埋めて、たまゆらのやすらぎを得た。
淫楽の幕が降りれば、再び戦いの太鼓が鳴り響く。
男たちは精気を漲らせて、権力闘争の場に戻っていく。
<早坂茂三・宰相の器>より。
以下は<宰相の器>からの要約。
あるとき、新潟の山奥から信玄袋をぶらさげてきた婆さんの手を引いて、角栄が玄関まで手を引いて送り、下駄をはかせた。早坂は尋ねた。「そこまでする必要があるんですかね」。角栄いわく、「オレに送られて怒る人はいないんだ。あの婆さん田舎に帰って角はええ。手を引いて下駄まで履かせてくれた、それを隣近所に喋るんだ。そして、婆ちゃん良かったね、とこうなるんだ。それにカネが一銭もかからない」と。
ロッキード事件の台風が吹いた時、親方の周りに越後の女たちが人垣を作って守ってくれた。大衆は自分と同じ高さの目線の人が好きだ。大衆が嫌いなのは、自分よりも目線が高く、目の玉の奥が冷凍庫のように冷たく鼻持もちならない奴だ。東大出の孤独な秀才が天を仰いで嘆いた。<バカたちは、どうして私の前に集まらないのか。私には分からない>その時、カラスが飛んできて、開けた口に糞をたれ、「あほう、あほう」と鳴いて飛び去るだけである。
しかし角栄は致命的な組閣ミスをおかした。敵陣営(三木派)の稲葉修を法務大臣にした。味方陣営なら「指揮権発動」も可能であったろうに。
インテリには社会正義を叫ぶ応援団が多い。しかし、インテリは口先でいっぱしの能書きを垂れるが、風向きが変わってまずいとなれば、すぐ逃げ出す特性をもっている。ドロをかぶらない。インテリに対し、風雪の歳月を共に戦い抜くよう求めるのは危険だ。毛沢東はインテリを信用しなかった。寸土を持たない八路軍の農民兵士は救世主の毛沢東、中国共産党を裏切らなかった。橋本竜太郎に関してはBBSに書いたが、確かに<刀を鞘に納めなければ人は寄ってこない>のは的を得た表現である。
竹下いわく、<一郎(小沢一郎)は押してよし、引いてよし、足払いも、肩すかしもできる。だけど、人見知りをする。人の好き嫌いが激しい。これでは駄目だ。利口も馬鹿も全部、抱え込まなくては頭領になれない。これを一郎がやれるか、どうか><龍太郎(橋本龍太郎)は呑み込みの早さ、切味の鋭さ、ともに抜群だ。東大出の役人もタジタジになる。欠点は切れすぎることだ。刀は鞘に納めなくてはなあ。そうしないと、人がなかなか寄ってきにくいんだよ>
官庁には万年係長、万年課長補佐と陰口されるノンキャリア組がいる。国家公務員上級試験を突破しなかったので課長になれない。しかし実務をこなしている要(かなめ)は彼らだ。エリート官僚の課長は同じポストに長くても二年しかいない。どんどん出世階段を昇っていく。審議官、局長、次官になる。途中で間引きされる奴は、割りのいい仕事に天下っていく。となれば、秀才課長は”お客さん”であり、課の実権は課長補佐、万年係長が握る。これを”窓口天皇”という。
国策、役所で物事を決めるのは大臣ではない。下から上がってくる書類に次官、官房長の言うとおり最終決裁の判をおすのが、普通の大臣、パワーレスな大臣閣下の日常業務だ。官僚から見れば一年こっきりの”お客様”である。おだてて、ご機嫌をとり、大過なく、役所からお引取りいただきたい。こうした大臣に「あれをしてくれ」と陳情、頼みごとをしても無駄なことである。....最終処理はすべて”窓口天皇”がやるからである。ではどうしたらいいのか。自分が関係する”窓口天皇”の課に、尻尾までアンコが入った焼きたての鯛焼き20個も袋に入れて、毎週一回、何の目的もなしに出かける。お茶汲みのお嬢さんに「これ、皆さんで...」と渡す。三時のお茶の時間に皆が喜んでたべる。
それを続けていくうちに、「鯛焼きのおじさん、まだ、来ないわねえ」。万年係長も「そうだなあ」という具合になる。その頃合を見て、”窓口天皇”を、例えば東京・神田のJRガード下のオデン屋に誘い、一緒にオダを上げることだ。銀座の高級クラブ、赤坂の料亭だと居心地もよくないが、ここだとミスター補佐は、ひっくり返るほど気楽に飲める。打ち上げは小便の匂いが鼻をつく安キャバレーだ。丈夫そうなおねえちゃん、オバさんのペラペラのスカートを捲くり上げ、自分から頭を突っ込んで、わいわい騒げば、窓口天皇も目の色を変えて一緒にやる。
こうして仲良くなって、「悪いけど課長、もしオレの会社の書類が回ってきて、迷惑がかからないようなら、ひとつ、面倒を見てくれないか、課長!」補佐の二文字は口の中で止めて、課長を連発することだ。これを続けていくと、上から流れてきた赤い水は、万年係長の手元でも赤い水であり続ける。この一点を間違えると、陳情の書類は未決の箱の一番下に入れられたままだ。既決の箱に入れてもらうには、上にゴマをするだけでなく、下にも目配りをすることである。永遠に陽の当たることがなく、自分の甥(おい)みたいな課長に”OO君”と呼ばれる窓口天皇のプライドをくすぐり、手が後ろに回らない程度の実益を与え、退官の時は自分の会社へ引き取る。それができれば思いがかなえられる。善悪ではない。日本とはそうした国だ。
黒澤明監督の「椿三十郎」とこの「宰相の器」はアジアで雇われマダム(社長)をしていた時に役に立った。
サラリーマンの方もこのブログを読んでおられると思いますが、どうしてもそりの会わない課長や部長を味方につける場合の魔球をお教えしましょう。
その課長、部長と一杯やる必要はない。
彼らと親しくしている課長補佐クラスを上の窓口天皇よろしく、課長、課長と連発し、そのそりの合わない課長、部長を徹底的に褒め上げることだ。
これは内緒にしていてほしいと言っても、必ず相手に漏れる。
そうして後日、A君、どうだ、今夜あたり一杯!と、そりのあわなかった人から返ってくるのである。
褒められて怒る人はいない。これが生きていく上での知恵でもある。
世界広しといえども、「間」や「和」を知っているのは日本人のみであろう。危機が迫り、自分の身の保身のためにカモフラージュする致命的な欠点はなにも日本人に限ったことではないが、この動物たちのように仲良く暮らせるのが一番である。
ここの記事にも書いたが「政治家は清廉潔白でなければならない」などと声高に叫んでいると日本は確実に崩壊するだろう。自らの生き方立場に自信とプライドがあれば、相手を非難したり羨んだりする気持ちは自らのゆとりの中でおおらかに処理することが出来る。
ーーーーーー以上、転載。ーーーーーー
胆力のある人物というのがこの頃いない。
まず、ジョン・ウェインもカーク・ダグラスも今の時代じゃ、書類選考で落とされるよね。
剛力な世界もたまには良いものだ。