弔いの海の話
勝浦へ
勝浦の堤防
僕らは、真夜中の湾岸線を房総の方へひたすら車を走らせていた。
真っ暗なハイウェイは、免許取り立ての僕には始めての経験。
首都高から高速へ
だんだん路側灯がなくなり本当に真っ暗な道。
このまま銀河へ続くのではないかと思わせる雰囲気だ。静寂。
ただ無機質なカーナビのアナウンスが時折僕らを道先案内人のように
勝浦へ導いている。
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先日、僕らのスタッフのお父さんが亡くなった。
海の大好きな方だったらしい。
葬儀が終わり、彼が「大好きだった海に、おやじの骨を撒きに行きたい」
と言いだした。
勝浦の近くにある小さな漁港らしい。
お父さんの思い出がたくさん詰まった海へ、弔いに行きたい…
早くにおやじを亡くした僕は、何は置いても素敵な話だと思った。
何も親孝行なんて出来なかった僕にとっては、
少しでも何か役に立ちたっかた。
つたない僕の運転で良ければ
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彼の膝の上には小さな壺が大切に置かれている。
(ほんの一部だと思うけれど)
人というのは、こんなにも小さなものになってしまうのかといつも思わせる。
昔のことを思い出す。
あんなに強くて頑固者だった僕のおやじが、小さな壺に収まった時
全然悲しさなんか実感できなかった僕も
何故か…悔しくて涙が止まらなかった・・・・
季節も同じ頃だった。
そう 、丁度一週間しか違わない。
骨になってしまったおやじの姿と、火葬場の外のわざとらしいイキイキした春。
小さな花々の綺麗な色とのコントラストが悲しくて、
わけもなく花に向かって「バカヤロー」って
言い続けていたのを思い出す。
あれから僕は、一人では生きていけないと強く思うようになった。
自分という存在と廻りというかけがえのない存在。
二つがあって始めて僕というものがいられる…
家族がほしいと思うようになった。
結婚して子供がほしいと願った。
こんな僕でも、看取られたいと…。
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形があるというのは、時折もの凄く寂しい。
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僕らは、冗談を言いつつ朗らかな空気に包まれながら走っている。
せっかく海に行くのだから釣りでもしよう。
勝浦は、有名な黒鯛の場所だし、釣りでもしながら一日を過ごせれば、
楽しいね。
それが、とてもいい弔いだよね。なんて言いながら…
高速道路を降りて、真夜中の山道でハイビームに照らし出されるのは 桜吹雪。
風が強いらしい。
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朝方、目指す小さな漁港についた。
彼は、さっそくお父さんと親しかったなじみの漁師の所へ挨拶へ行き
「骨を海に撒いてほしい」と頼みに行った。
お父さんの一部は海になるらしい。
残った骨は、大好きだった「シーン」の見える海岸に埋めることにして、
目印と墓標のためにそこいらにある石を見つけて置いた。
この石の形は、ジャコメッティが創るブロンズ像のように平べったく
所々に小さな穴があった。
僕らは面白がりながらこの穴に線香を刺し、
やんちゃだったお父さんのように、おもしろく元気そうなオブジェに仕上げた。
それは小さな花火のようであり、船のようにも見えた。
僕らは合掌し、この綺麗な海がいつまでも見られるように祈った。
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