猫を亡くす。万斛の思い

我が家の猫が、永眠しました。
18才でした。人間でいうと88才らしいです。

我が家に来たのが、
愛娘が小学二年生の時の2000年10月16日だったので、
18年と3日、一緒に暮らしたことになります。

かみさんと娘が、猫を飼いたいと云いだしたので、猫を飼うのなら、動物愛護センターの猫にしてください。とお願いして我が家にやってきました。

猫を飼う条件は、一つ。
「ネコらしく扱う」ということ。
異常な可愛がり方をしない。溺愛しない。普通の動物として飼うことを家族で決めたのです。

それは、人以上に溺愛するペット愛好家の異様な姿が嫌でならなかったし、あのような盲愛は、醜いと思っていたからでした。


彼の名前は、ケンといいました。
名前の由来は、娘が、名前を考えると言ったので楽しみにしていたのですが、遊びに来たお友達に「絶対名前は、ケンちゃんがいいわよ」と押し切られ、以来、ケンちゃんになりました。

ケンは、家猫としてすくすくと育ち、去勢したこともあり、大人になると10キロ以上の体重がありました。ちょっとした犬と同じ大きさの巨大ネコでした。

そんな巨大な猫も寄る年波には、勝てず最近は7キロあたりまで減っていました。
でも足腰は、しっかりしており早起きの僕と一緒にお庭に出て数十分、移ろい気分を味わうのが毎朝の日課でもありました。たまに深酒をして、寝坊していると1階から大声で僕を呼ぶのです。年寄りの猫だから、階段をいちいち上がるのが面倒なようで「ニャー、ニャー」と大声で叫ぶのでした。


そんなケンの容態が悪くなったのは、つい先週のこと。

10月9日
急にご飯を食べなくなりました。
心配になって、そろそろ18才になるから御祝いの想いもあって、たまにしか食べさせない大好きな缶詰をあげたのですがそれも口にしません。日頃、尿が出なくなるからケンのご飯はpHを考えてのドライフードなのです。

具合の悪そうなケンは、我が家の中でも静かで、比較的温度の低い場所に行って一日中伏せっています。

10月13日
3日も経って、さすがにおかしいと思い、ペット病院に連れて行くことにしました。しかし、かかりつけの医者はその日休診日であったので、仕方なく地元の獣医に診てもらうことにしたのです。

診察の結果、尿が上手く出ておらず・・・腎不全を起こしており、尿毒症の手前の状態。肺にも水が溜まっているようでした。即座に入院し、容態が落ち着いたら手術をしたほうが宜しいとのこと。
取り敢えず入院することになりました。

妻は、手術に難色を示しました。「18才にもなる高齢の猫に手術を施すのは、負担が大きいのではないか」と。
しかし、オペをしなければ、一月も保たない。オペが成功すれば、後2、3年は元気で生きられると獣医は言う。どちらが良いのか分からず、判断できない。

というか、結構元気だったケンちゃんが、今にも死にそうという現実に上手く対応できない・・・。

10月15日
朝、見舞いに行き、ケンちゃんを見ると前日よりもスッキリとした顔をしていました。尿道にカテーテルを刺し、尿が排泄されたのが功を奏したのでしょう。獣医からは、難しい手術でもないということなので、ここは彼らに託すことにしたのです。

しかし、夕方になり、獣医から電話がかかってきました。
「ケンちゃんが、突然呼吸困難になり心肺停止になったので応急処置をしているので、病院に来て欲しい」とのこと。驚いた僕とかみさんは、急いでペット病院に駆けつけました。
ケンは、病院の施術ベッドに横たわりドクターから救命処置を受けています。心拍数を図るモニターからは、それを表すグラフが小刻みに上になったり、下になったりして定まりません。
懸命に心肺処置をするドクター達。ケンちゃんの細くなった身体が、餅を揉まれるように縦になったり横になったりしています。もう、あばら骨が折れているのではないかと思われるほどでした。

そうこうしている内に、心肺甦生のマッサージが効いたのかグラフは落ち着き、ケンちゃんは事なきを得ました。

こちらが、心臓が止まるかと思うほど、ぼくら夫婦は取り乱したのです。

10月16日(休診日)

10月17日(オペ当日)
朝、見舞いにいったら、
獣医より「血液の数値も腎臓の数値も安定したので無事に手術を受けられます」と報告を受けた。ケンちゃんは、お昼にオペを受けることになったのです。


そして、オペは、無事に終了しました。

見舞いにいった僕らに若い獣医は、「呼吸が定まらないのでICUに入っているけれど、明日には退院できます」とのこと。ぼくら家族が、安堵したのはいうまでもありません。

10月18日(退院日)
朝見舞いに行くと、ケンちゃんは酸素室から出されて僕らと面会できました。
顔もどこかスッキリとしています。「ケンちゃん」と妻が声をかけると安心したのかその差し出した手に顔を付けていきます。
獣医は「様子を見てですが、夕方には退院できます」とのこと。膀胱に溜まっていた結石は40個にもなったいようです。それも全部取り除き、綺麗になったと報告を受けました。
ここ数日ろくに食事が喉を通らない僕らでしたが、元気で退院できると聞いてお腹が空いてきました。病院を後にして、僕は団子屋で大好きな道明寺餅を買って食べ、かみさんは巻物を買ったようです。

「ケンちゃんが帰ってきたら、今夜16日にできなかった誕生日会を開いてあげようね」と喜ぶ妻。家族ラインにも「ケンちゃん今夜退院」の報告を入れ、休憩時間に即座に「やったー!」との喜びの返信を寄こす愛娘。大きな山を乗り切った安堵感が、僕らを包みました。
僕は、夕方に引き取るケンちゃんのために車の点検に向かいました。ケンちゃんのこの騒動で定期点検の日程をずらしてもらっていたからです。

ディーラーで点検が終わるのを待っている僕にペット病院から電話が入りました。若い獣医から「ケンちゃんの容態が急変し、呼吸困難に陥ったので、また心肺マッサージをしているところです。すぐに来てください」と。
僕は、狐につままれた面持ちで、かみさんに電話をかけた。実情が把握できない妻は、しばし無言だったけれど「わかりました」といい電話を切った。僕は、病院に行くのを断念した。僕がいる場所は、病院まで結構距離があるし、電車も使わなければならない。後1時間もすれば、車の点検は終わるし、前回の応急処置で回復したケンちゃんを見ているから大丈夫だと軽く判断したのです。

5分経ち、10分経ち、落ち着かない時間が過ぎていきます。本を読もうとしても文字を追えません。


30分ほどしてかみさんから電話がきました。
「ケンちゃん、ダメだった・・・」
「ケンちゃん、ダメだった・・・」と何度も繰り返す妻。「戻ってこなかったの・・・」と何とか言葉を続けようとする妻に「そ、、」とか、言葉が出てきません。
「頑張ったんだね。ケンちゃん」と僕。
「今、エンジェルケアをしてもらっているから、その間に戻ってきて準備しているの。鍵も持たないでお店を急いで出ちゃったから」と何とか気丈に話す妻に「頑張って。もうすぐ点検終わるから、ケンちゃんお迎えに行くから」と返答しました。
家族ラインには、「ケンちゃん、ダメだった」と入ってきた。僕も「ケンちゃん頑張ってけど、ダメだったみたい」と応答しました。仕事中の娘は、まだ既読にならない。

やがて、車の点検が終わったらしく最高の笑みを放しつつディーラーの営業マンがやってきた。対照的な僕は、取り乱したことを悟られないように会釈して、早々にその場を車で後にしました。

妻の雑貨屋さんに着くと、ピンク色の毛布に包まれたケンちゃんがいました。
「寝ているようでしょ」と妻。「とっても頑張ったんだよ。病院の先生も一生懸命応急処置をしてくれて、もう15分以上続けてくれているし。もういいです。楽にさせてください。十分ですからと断ったのわたし」と言いながら妻は、泣き崩れました。
「病院の若い先生、力に慣れなかったって言って泣いてたの。そ、そして、、」と言葉を繋げようとする妻を遮って「取り敢えず、早くお家に帰ろう。ケンちゃんと。僕は、車を運転しなきゃいけないから、何とか冷静さを保っていたいんだ」と話し、僕らは家路を急ぎました。


家に着き、猫チグラにはちょっと入れないので、その前の場所で横たわるケンちゃん。
寝入っていると言っても分からないような感じです。娘が帰ってくる間、僕ら夫婦はぽつんぽつんと会話が途切れないように努めていました。
「今頃、お仕事終わった頃だよね」とか話していると、ガチャンとドアの開く音がして娘が帰ってきました。「早く帰してもらったの」と言いながら居間に入ってくると、小さな声で「ケンちゃん・・・」と言うなり、眠るケンちゃんに覆い被さりしばらくの間、嗚咽していました。

「私我慢できなくて、電車の中ずっと泣いてたの」と、小声で話す娘に「ケンちゃんもあなたの帰り待っていたのよ」とかみさんが応える。
僕は、その光景をただじっと見守ることしかできませんでした。



その夜、ケンちゃんの通夜の晩、僕ら家族は、眠るケンちゃんを囲んで過ごしました。ピーナッツがあったので、それを時折頬ばりながら。「悲しんでも仕方がないし、ケンちゃんのためにもお酒でも呑みながら普通に過ごそうよ」と空元気な娘の発案に「そうだね」と僕。
「本当は、今夜ケンちゃんは元気に退院してきてるはずでしょ」
「なんだか喜ばしておいて、急に奈落へ落とされた気分」などと言い合いながら、呑み会になりました。

夜中になり、「私、ケンちゃんといたいから、ここで寝る」と言い出した娘。僕ら夫婦は、ケンちゃんを娘に託して少しの仮眠を取ることにしました。



10月19日(埋葬)
翌朝のケンちゃんは、死後硬直していて幾分平たくなったような感じがした。

ちょうど今日と明日は、娘の休日になっており、ケンちゃんを荼毘に付すには都合が良かった。本来ならば、平日でお仕事の日なのだけど、僕ら夫婦も仕事を休むことにした。


かみさんがペット病院から教えていただいたペット専用の火葬場は、我が家から小一時間、車で走ったところにありました。横浜の田舎の方で、山と畑に囲まれた淋しい場所。「こんなところなの」と訝しがる娘に「ペットは、だいたいここで焼かれるみたい」と自分も心細い感じをかき消すように妻が答えている。
「仕方ないよね」と僕。
ここで埋葬されるペットは、数匹が集まった時に火葬にするらしいのです。
僕ら家族は、敢えて特別扱いすることなく、集合の火葬にしてもらいました。それが、我が家のルールだったから。



ペット火葬場から帰る道すがら、しばらく僕らは無言でした。
時折、カーナビから乾いた感じの声がするばかりで、後はみんな黙っていました。
僕はというと、止めどもなく流れてくる涙を拭くこともなく、横浜の田舎道を眺めていました。


「ケンちゃん、我が家に来て幸せだったかな」と娘が聞いてきた。
「幸せだったんじゃないかな」と妻が応える。
「あのまま動物愛護センターにいるより幸せだったと思うよ」と僕。

「そっか。ケンちゃん幸せだったよね」と娘は、言いつつ「お腹が空いたよ。何か食べて帰ろうよ」と少し大きな声を出した娘の意見に「そうだ」と呼応した妻が、「父ちゃん、おごって」と即座に放ち、僕らは、笑った。








猫を亡くす、万斛の思い

過剰に溺愛するペット愛好家をどことなく
嫌がっていた僕でしたが、
今は、「溺愛していいんじゃない」と思います。

僕は、「ケンちゃんを溺愛できたのかな」と。

ケンちゃん、今までありがとうね。