【 竿 】
誰かからか聞いた話だけど、マーチンというギターメーカーの話。ココのギターは、めっぽう良い音色が出るらしく、かなり有名らしい。このメーカーの高級なモノを買いあさっているのが、我ら日本人だそうだ。
良い音が出るということで、日本人が懸命になって購入しているらしい。
決してマーチンを買ったところで、ギターの腕が良くなるということ無いのだが我ら日本人というのは、良いと聞くと是が非でも手に入れたくなる国民だ。これは、ゴルフクラブでも同じことが云えるらしい。
この現象は、ご多分にもれず釣りの世界でも一緒だ。。
良い竿だというと、何が何でも欲しくなるという性質を持っている。
良い竿を買ったところで、腕が良くなるということは決してあり得ないのに。だ。
新しくメーカーから竿が出ると、こぞって釣友は購入する。「バカだなぁ〜。そんなに買ったところで腕が上がるわけでもないのに。」と必ず言うことにしている。
何とかという名人が作っている和竿は、何十万円もする。ただ、その竿の良さといったらもう一回味わっただけで他の竿なんて使えなくなるらしい。なんていうのを聞くと、他のこと差し置いてでも買いたくなるのだ。
『あぁ〜一度、そんな竿で黒鯛を釣ってみたい〜〜』
という感じで。
黒鯛なんてそう簡単に釣れないのに、その一瞬の悦びのために、我を忘れて購入してしまう。
何を隠そう僕もその一人。
毎回釣り竿を購入したりすると・・・
「やってしまった・・」
また、メーカーの戦略に乗ってしまったと後悔してしまう。
知らず知らず竿は増えていき、何本も所有する【竿コレクター】と化してしまう。
※【竿コレクター】と命名したのは、妻だ。
でも日本人というのは、もともと道具に凝ってしまうという良い特性を持っていると思う。
テレビで見る海外の家庭のキッチンは、シンプルすぎてどうも馴染めない。日本人のキッチンというものは、混雑していていかにも《台所》という趣を醸し出している。
かの国の人々には、理解できないかもしれないが、一年に一回しか使わない器が多く台所にはある。たった一回しか使わないけれど、その時に無ければならないものだ。
僕ら日本人は、そういった折々の季節や節目といった趣を大切にしている。
だから一年に一回しか使わないかもしれないけれど、無くてはならない大切なもの。そう言うことを疎かにしていたら何も生まれては来ないし、寂しくもある。
《だから竿も段々増えてくるのだ。》と、かみさんに言い訳をいう。
それにしても、年々竿は増えていく一方だ。
幸いにして、手作りの竿をつくり出してから『自画自賛』の繰り返しだから浪費してしまったというのは少なくなった。
この竿は、磯子のアソコだけでしか使えない竿。とか。
この十尺は、悪天候の川崎でしか使えない。とか。
これは万一の時の予備の竿だ。
いや、こういうのがあっていい。などなど。
キリがない。
そうやってどんどん【竿コレクター】になってしまう。
結局のところ、僕がよく使う竿は、三本ぐらいしかない。
自分で作った柔らかい竿:2.55m。
雨の時ように:2.7mのカーボン竿。
この頃一番使っている:1.8m強のカーボン竿。
特にこの竿は、5000円弱で購入した廉価版の安竿だ。愛娘がまだ小さかったので、仕方なく購入した、どうでも良い竿だった。
色が悪いので、黒漆で塗り替えた竿。手軽で簡単だし、良くしなる。浅棚しかほとんどやらない僕にとっては、今では都合の良い竿だ。
ハリスを短めにして、探るタナは一ヒロ強。この短い竿だと二ヒロ以上も出せないので、逆に良く、集中しやすい。
腕も何もない癖に、竿だけはこだわるというのが僕ら釣り師の性らしい。
今狙っているのは、この短い竿の和竿だ。
ますますもって竿は増えるばかりだ。